映画「Fukushima 50」2020年 ~福島第一原子力発電所事故に基づいて~

映画から学ぶ

2021年3月で東日本大震災から10年が経ちます。映画「Fukushima 50」がテレビで放映されたので、鑑賞しました。大震災からある程度落ち着くまでの原発内での話を取材の内容を基に映画化しています。オープニングで「事実にもとづく物語」と表示されます。実話に基づいての自信作という気持ちの現れだと思われます。

内容は事実

時間も、起きた事故も、自分が知っていることはほとんど一致しておりますので、全てが実話のようです。2011年3月は私は福島市に住んでいたこともあり、当時のことを鮮明に思い出しました。現場の作業員が懸命に責務を果たし、吉田所長以下が一丸となり、収束に頑張った姿が映し出されています。米国が原発から80km以内のアメリカ人を避難させると噂が出たときに、既に外国人は福島で見かけることがなくなったことを思い出しました。

東京電力の本部と現場の緊迫したやり取り、官邸の態度など、「そうそう」と思い出すことばかりでした。原子炉内格納容器の圧を下げるための「ベント」にこれほどの危険な作業が伴ったことは初めて知りました。現場の作業員の方には感謝してもしきれません。

100%どちらかが正解はない・・・

映画の中では、吉田所長以下現場の人間が100%正しくて、東京電力本部と官邸がわからずやの悪者に描かれています。現場の方が状況を把握しており、正しい判断ができるのは間違いないのでしょうが、混沌とした中でどちらかが100%正しくて、逆側は100%間違えているということはありません。

映画の中のシーンでは、本部と現場が対立するシーンが多く、本当にこんなに対立ばかりしていたのかと疑問が沸きます。ただ、対立するシーンの方が映画は盛り上がりますが。

吉田昌郎所長は2013年7月に永眠されました。東電本部にイライラを感じたことも多かったと思いますがが、これほどの対立映画になったことを見ると悲しい気持ちになったのではないかと想像します。

また、仮に取材の中で現場サイドの間違いがあったとしても、それは緊急事態のときに100%の正しい対応ができるはずはないので、それはそれで許容されるべきですが、そのようなシーンは一つもでてきません。お亡くなりになった方を非難することは日本ではタブーとなっていることもあるかもしれません。

強い者イジメ

日本では、強い者イジメの文化が醸成されているように感じます。立場の高い(強い)人は、そうではない人に比べて自分を律することが期待されています。もちろん、公務員が立場を利用して私腹を肥やすことは明らかに悪いことで、これは公の場で非難されるべき事項です。

が・・・

人間の深層心理には、相手が嫉妬を感じるような存在だった際は、その相手よりも高みに立ったような気分を味わいたくて悪口を言う(批判をする)場合があります。偉い人だから、それを非難できる自分はもっと偉いかもと勝手な感覚を得るために、悪口を言うような状況です。今回は、その深層心理を利用して、立場の高い人を非難する内容にして、見る人の深層心理を掻き立てているように感じました。

落ち度は落ち度で認める必要がありますが、東電本部と官邸を「明確な悪役」にしているのはちょっとやり過ぎではないかと思いました。

ただ、映画も、小説も、主観を持った人間が作るものですから、やはり主観が入ります。本来は、死力を尽くしている作業員の姿を映した映画なのですが、「ちょっと違う」と感じながら映画を見てしまいました。